真実を見つけたもの達は、真実の歌を歌い始める。それしか自分の仕事はないと知る。天国と地獄は隣り合わせである。命を賭けて知ることが出来る世界がある。真実の世界である。それを知ったその時から真実の世界に住む。それまでは教えに過ぎなかったことが事実真実であることを知る。そして真実のやさしさに憩う。慰むるる。そして言葉は真実の言葉となる。すなわちロゴスである。蕩々と流れ来る。ルソーの『告白』に等しい。あるいは、祖父が絵を描けば、あるいは写真を手本に陶器にすれば、自由自在の意匠となったように、言葉が形となる。そしてその言葉が詩となる。自然を歌う。小鳥のさえずりに等しい。そうした人生もある。世間一般のあずかり知らぬ古来大和のうたごころである。所詮気づくまでの青春である。修行である。青春及び修行それ自体に価値があるのではない。さなぎのように通らねばならないだけである。しかし古来大和の歌心がほろびつつある。何故か。雑草繁茂の故である。これを遺したいのか。失って良いのか。各々の選択だ。気づくべきは己自身である。持って生まれた種がある。己の分際がある。過去より一続きの魂の遍歴の中でどの花を咲かせるのか。『悪の華』か。それぞれのDNAに問うがいい。それぞれ繁茂を目指す。戦後ゆるされた自由を本来の自由と思っている。本末転倒である。己自身を自覚する。もはや惑いはしない。因って大人である。善と悪との基準は自分自身の中にある。己に恥じるところなければ死をも恐れることはない。それで切腹もあった。祖先黄泉に従う。汚れた世間に染まることはない。敵は討つ。黄泉の守護、信ずるに値する。少なくとも三十年、悪なさざるによって真実は開示される。求めた夢が実現する。何を夢見ているのか。夢は夢である。画餅は食せない。真実の世界はある。喜びとやすらぎに満ちている。この世の幸せとは何か。あくせくしてはいないか。すべては知らしめんが為である。知って初めて確信する。至って初めてわかる。何がわかるのか。自己自身である。祖先の導きである。祖先の願いがある。それを果たすために生まれてきている。祖先の夢を今実現する。世間は何をしているのだろう。自己を知り、生まれた喜びを知る。すべてが意味を持つ瞬間がある。幾度試せども果たせなかった夢も何時かは実現する。あらゆる条件が整う時である。切り札はそろった。今となってはすべてに感謝している。そして意思がチカラとなる。この世は一つである。今も昔も一つである。現象としての明と暗。陽と陰。天国と地獄は隣り合わせである。どちらの世界に住みたいのか。地獄から逃れることが出来るなら天国に入れる。門は何処にでもある。入ってはどうか。人生は一枚のペルシア絨毯に等しい。縦の糸。横の糸。その織りなす綾。悲しみの涙も織り込まれているだろう。それで良いのである。織り上げればいい。織り上げるのが人生である。そして織り上がった時自分が何者であったかがわかる。種を得てその花が何であったかわかる。そして蒔く。良い種を蒔く。悪い種は淘汰する。それが文化文明の歴史である。見るものはそこに真実を見る。見えないものは見えない。見えないのに大きな事を言っている。そして間違う。間違っても間違いとわからない。それが世間である。愚かである。どうなるか。淘汰される。時々の思念と行為の織りなす綾。それが人生である。こうして真実の詩人が誕生する。真実の詩人が誕生する時、それまでの嘘が暴かれる。日が昇れば夜の星は見えない。山に登ればすべて見渡せる。途中からは一部しか見えない。詩人は宇宙自然のすべてを見て言葉にする。仏語がわからぬ所以である。その言葉はロゴスとなる。そして宇宙に受容される。そして宇宙を規定する。カラスも白いと云えば白くなる。真実の詩人のチカラである。真実の詩人が現れた時、これまでの物語の謎がすべて解かれて意味を持つ。そして時代が代わる。新しい物語が始まる。それは回り舞台のようである。歴史はこのようにして流れる。今も昔も。真実が開示される時がある。それを目の当たりにする時がある。今がその時である。あらゆる秘密が現れる。そして自己を知る。そして新しい方向性が定まる。大法輪が転ぜられる。パラダイムの変換が起こる。400年周期説。旧約聖書に秘められていた。世界が一つの方向性を得る。そして様々な物語が始まる。それぞれが原点回帰の旅に出る。それは自己探しの旅である。こうして時代は巡る。今、始まりの時である。さてどのようにしたいのか。どのようにするのか。具体的設計図を引く時である。それはひとつの洪々たる創世記である。新しい時代の開闢である。万物の霊長人間の特権である。はるか昔より秘密護持されたる種今開花す。一切種智慧(法華経)を知る時である。世界は今も昔も一つである。そして秩序がある。本来の自分に戻る。それだけで十分である。世の犠牲となることはない。真実の自己を生きればいい。真実の花を咲かせればいい。いつも言われた。あんたは馬鹿だ。お人好しだ。だから騙される。奪われる。それでいいではないか。真実は奪われはしない。いつもの浜辺にいた。大鳥が三羽飛び去った。何処へ行くのだろう。何処に帰るのだろう。「に」と「へ」。ハニホヘトイロハ。12345678。24。西へ。すなわち西域。目指すは聖域である。第二位は定位である(連合艦隊における「霧島」。その姿は美しい。霧島→敷島→廣島。日本はいい島だ。四季=色。色即是空。自然色々に咲きそう。様々な花があっていい。本来純粋大和乃花もあっていい。一切種智慧と宿王華が法華経の神髄。大和復活。日本復興)。(2006/06/07 5:15am) NHK-AMから曲が流れてきた。そのタイトルは"You can go !"。can=may。許可である。東京特許許可局。本来の自由達が羽ばたく時が来たようだ。勇気を持って飛び立とうではないか。産業経済史として貿易を左右した船舶造船技術発展の歴史は舵の歴史であった。さて、新しい舵でいよいよ面舵一杯である。舵は切られた。もはや後戻りはない。信じる道を進むしかない。過去はすべて失敗に帰した。新しい夢を求めての旅の開始である。法華経第七『化城諭品』。化城よさらば。真実の城を目指す。(NHK-FM ピアノ協奏曲を聴きながら・・・クラシック音楽はマーラーで終わっていたのかと思っていた。さにあらず。続行中である。しかし現代音楽は何の鏡でろうか。時代の叫びである。時は代わった。改めて穏やかで荘厳で美しい調べが戻ってくれるだろうか。精神の音楽クラシック復活を待っている。 2006/06/07 7:51am)NHK-AMより次に流れてきたのは、「missing you」。I miss you.というのは「あなたを失って悲しい」という意味。失ってはいない。いつもそばにいてくれる。すなわちスタンドバイミー。あるいはゴースト。シャガールのみた夢。あるいはシューマンの永遠の恋(ブラームスは何故複雑か)。それが真実の愛である。見えない世界でささやく。見えない世界でつながっている。世界は一つとはこれを意味している。次に流れてきたのが「I love your smile.」。複雑な思念などもう要らない。重荷は降ろそう。鳥が歌い、花が咲く。そのように生きればいい。風の吹く。月の輝く。それまでの複雑である。素顔のままで。今の自分で十分だ。良い一日となりそうだ。笑顔がこぼれる日となりそうだ。穏やかさを取り戻す。世間の横暴の中でずいぶんと長い間忘れていた穏やかさだ。何時の頃からだろうか。私はかつて大林組に乗船した。嵐は大林組を去ってからのことだろうか。その後救助船は来なかった。来るのはサメばかりだった。その後私は漂流した。今もそうである。私にとってあまりに長い世間の嵐であった。穏やかな陽がさしている。自然回帰。夢は果たした。時は来た。敵は討つ。自己の内面の愚かな蛇にトドメを刺す。・・・ラジオからは、チューリップの「青春の影」がかかっている。何とも云えないね。朝方に聞いたのは、CDでムーディーブルース「セブンス・ソジャーン」のオープニングとエンディングだった。まさに青春の頃だった。今もその中にいる。それで良いのだと思う。もう考えなくて良いんだと思う。Take it easy! だね。まだまだ馬力はある。負けはしない。最大の敵は倒した。もう大丈夫だよ。自由ポジションは最高だ。真実の自由へのポールポジションかも知れない。マシンの状態も最高にチューンアップされている。いよいよこれからだ。ある占いによると私の人生は50歳から開けるとあった。面白いね。まだ青春のままだ。時は来たね。・・・陽光が明るくさしてきた。森有正氏全集の第一巻は『木々は光を浴びて』だったかな。ある頃それらも売り払ったよ。そして飲んだのだったかな。読むものがなくなったら自分で書き始めると言ったのは吉田健一氏だった。そして作家はその処女作へ向けて書き続けるって一般に言われているね。それから、白鳥の歌ってのがある。没する直前の芸術作品だ。白鳥は白鳥だね。いつまでも醜いアヒルの子ではない。正宗白鳥ってのもいたっけ。正宗のツバ(自分で勝手にそう思っている)があったのだけれど、どこかに隠したら本当になくなってしまった。文鎮にしたいと思って探したけれど見つからなかった。もう必要ないけれど。 水は流れ始めたようだ。塞いでいた大岩は砕かれた。長い間塞いでいた。突破口はないと思われた。しかし生命力だね。いつかは芽吹く。真実の種だものね。これですべて良かったんだと思う。蓮華の花咲く小道を行く。それでいい。大きな船に乗り遅れてしまったと思っていた。もう私の人生はないものと思っていた。しかし伏流することもある。むしろ最短距離を歩んだのだろうか。幼稚園から大学まで通ったのはすべて最短距離だった。導かれたかのように。見るべきものは見た。これでやっと自分をゆるすことも出来た。おそらく生まれてから最も祝福されていた人生だったと思える。いつかラジオで失ったものはすべて返してあげると聞いた。ユーミンの番組だったかも知れない。それが本当に実現するとは思わなかった。しかし本当だった。私は失ったものがすべて形はないが返還されたと思っている。『十牛図』でいえば第九番である。自然が満ちてきたように思われる。親鸞は仏が自分のためにだけ法を説くと言ったように。思えば長い旅であった。しかし生きて帰ることが出来たようだ。これで良かったと思う。有為の奥山は越えたようである。こうして書き綴ることにしよう。天職かも知れぬ。平成日記文学とでもしよう。後世のために一里塚となるかも知れないから。こうして自分が自分をゆるし受容することが出来るとやすらぎの中にいる。それが密教でいう胎蔵界であるのだろう。宇宙に受容されている。宇宙に抱かれるためには内面を探る。そして内面の最大の敵を倒した時に魂が宇宙に解放される。また得た自己の力が金剛界なのだろう。黄泉が味方につく。宇宙のチカラを手にする。それが金剛杵であるのだろう。これも実践実証経験済みである。もはやどうにもならぬ経験をしている。NHK-FMから流れていたのはルビン・シュテイン作曲ピアノ協奏曲第4番だった。ルビン・シュタインの白鳥の歌がある。80歳になって最後の演奏だった。曲目はブラームス作曲ピアノ協奏曲第1番だった。ブラームスが交響曲を書き始めたのは40歳をすぎてからだったけれど、このピーコン1番は交響曲として構想していたものだった。オーケストラはイスラエル交響楽団、指揮はズビン・メータだった。ズビン・メータはニューヨーク・フィルを壊したといわれているけれど、よほど相性が悪かったのだろう。さて、80歳も超えると目もかすんでいたであろう。指も思うように動かなかっただろう。併し素晴らしい演奏だった。珠玉の音が清流のように流れた。そしてズビン・メータとイスラエル響が完璧にサポートした。祖国に帰ってからの演奏だった。暖かさに包まれた凱旋演奏だった。私はこのレコードを2枚持っている。CDも一枚持っている。その他クラシックのCDを300枚あまり持っていた。中には名盤もあった。しかしそれらも殆どある頃に売り払った。仏の行をしている頃のことだった。次にラジオから流れてきたのはチャイコフスキー作曲交響曲第6番『悲愴』である。かれはずいぶんと苦しんだことだろう。そしてベートーベンのように歓喜の世界へ至ることは出来なかった。すなわち毒杯を仰いだといわれている。エルトン・ジョンあるいはバイロンと同じ運命に翻弄されたからである。どこかで選択を誤ったのであろう。彼自身この『悲愴』に最も愛着を感じたという。天才であるが故の情念の深さが十分に表現されている。しかし何故か悲しすぎる。途中にある若干の明るい調べも何故か空しい。それからチューナーを操作して別の局に移った。大人だからねという。何のことかと思ったら例の it だ。さて、不倫が当たり前のような風潮となってしまった。雑草の天下であるか。ダンスの妙は触れず触れざるところにある。そうした世界に住する階層もある。精神の格である。一途とかいって憧れることはない。一途が当然の世界がある。もはや不倫雑草に救いはない。自己の処した運命である。諦めるしかない。諦めるべし。ある時仏さんが言った。良いことはすべて仏さんのお陰だ。悪いことはすべて自分が原因だ。すなわち前世今世において身と心で犯した因縁である。身とは殺盗婬、心とは不善を念じた結果である。仏の前に懺悔あらば赦免もある。懺悔なくんば地獄あるのみ。人間自ら出づることは出来ない。唯、善業の因縁より出ることが出来る。善は仏さんのところにしかない。すなわち修行である。思い違い勘違い思い上がり、人間の計らい、バベルの塔。そろそろ思い出さないか。日本本来の教えを。西洋にかぶれて野蛮化したのではないか。軽薄になったのではないか。日本人だろ?平等も良いけど高いレベルで平等になろうよ。低いレベルでの増殖にはもう付き合えないよ。一部のものだけが得するアメリカ式成功論なんてどうなんだろう。必ず誰かを犠牲にしている。そしてその手法は偽善詐欺的だ。肌に合わないね。 日本は日本だよ。ここで日本を言う時、ネオナチズムとは無関係だ。第二次世界大戦はペリー来航に乗じた明治の帰結である。日本本来の価値を葬った下級精神の所産であった。その後戦後も同じ階層の支配であった。それでバブルがはじけ挙げ句腐敗した。本来の大和魂を知らぬ卑怯な方々の支配であった。責任の所在を明らかにせず曖昧にする。商人根性である。本来の日本の精神ではない。行政も民法化し、何もかもが商売的となった。そして進退窮まった。何時までも本来の日本が黙ってはいない。答弁できるものがあるか。あればするがいい。誰がこの日本を腐らせたのか。愚かで卑怯で嘘つきの我が身大事の精神である。例えば先日エレベーターで高校生が亡くなった。それで本日警察の強制捜査があった。私も高校の時にある意味で死んだ。世間について行けなくなった。勉強もせずに弥生書房刊『定本種田山頭火句集』を持って彷徨っていたよ。だれもその原因を捜査してはくれなかった。その後亡霊のような人生だった。この度、復活は果たしたかも。しかし失われた時は戻らない。父は十六歳で海軍に志願した。祖父のその頃はどうだったであろうか。祖父の生家は広島大手町にあった。屋敷にはテニスコートもあったと聞く。しかし没落した。もうどうでもいいけれど。すべては知らしめんが為であった。併しこのようにして護持されたる秘密日本精神の価値があったのである事は確かな事実である。そして時が来て正統日本歴史が復活する。どうにもならぬ黄泉の意思であり、計画であった。しからば腐敗も試練として当然の出来事であったのである。時が満つるということはこういうことである。勿論この宿命を果たすにはそれだけの能力が賦与されていたのであり、あらゆる課題を仕上げてのことである。純粋であるが故に守護もあり導かれていた。すなわち「能く是の經を持たん者は 我及び分身滅度の多寳佛をして、一切皆歡喜せしめ十方現在の佛並に過去・未来・亦は供養し亦は歡喜することを得せしめん。 諸佛道場に坐して得たまへる所の秘要の法能く是の經を持たん者は久しからずして亦當に得べし」(妙法華経p95-96)。そして、「汝今巳に能く諸の魔賊を破し生死の軍を壞し、諸餘の怨敵皆、悉く摧滅せり」(同p101-102)。さて空王仏。天王仏。天中天。Air King ! 民主党によると、国家権力を監視するのが放送であるという。インターネットと放送とが融合してその機能をすでに果たしている。自由の城塞である。ところで一休禅師は師からの後のための印可状を受け取らなかった。何故か。彼にとってそのようなものは必要ではなかったからである。理由は当時寺は腐敗していた。腐敗した寺からの印可状など何の意味もないと思ったからである。それは道元が空手にて帰還したに等しい。宇宙自然事実が証明している。それを以て確認できることを知っていたからである。あらゆる神通力を知っていたからである。正受老人の無底船もしかり。世に資格を言う。語るに落ちる。そして、「夫れ釈尊初成道より四味、三教、乃至、法華経の広開三顕一の席を立ち、略開近顕遠を説かせ給ひし涌出品まで秘せさせ給ひし所の実成の当初證得し給ひし壽量品の本尊と、戒壇と、題目の、五字七字を教主釈尊(此)の秘法をば三世に隠れ無く、普賢、文殊等にも譲り給はず、況や其の以下をや」(平等大慧会正報第一号創刊号より)。すでに証明されたるものがあって、自らそれを例題として解いたならば、それを定理としてそこから進めばいい。













