良い風が吹いてきたね 2005/12/1とても良い風が吹いてきた。この風、以前から吹いていたのだろうか。違うと思う。例えば、ユング。仮説でしかなかった。しかし、「かがみよ、かがみよ、かがみさん。」これは、共時性である。共同幻想論?幻想ではない、事実である!宇宙の中心がある。この中心的存在としての人格がある。今まで、知られることはなかった。しかし、昔よりあった。神々の秘密であった。誰も知らない。知るはずもない。当事者しか解らないことが多すぎる。
仏法でいうところの、仏の事である。あるいは、如来の神力である。わかっていた、知っていたというなら、それだけで、嘘である。仏と仏とのみ究了したまうことである。これをはじめに説かれたのは、真実の中の真実として、平等大慧会(広島県廿日市市大野)梅本禮輝譽先生(現代のシャカムニブツ、実は、久遠実成釈迦牟尼佛)この人であり、妙法華経と先生の説と現実とが一致して、真実とは言うべきところであるから。しかし、この真実としての「事」が開かれたのだ。これが、21世紀の約束であったのである。だれがなんと言っても真実は真実である。それでも、反語するなら、天を以て証明するよ、と羅刹は言っていた。何が起こっても知らないよ、って。感情エネルギーこそ、究極のエネルギーである、と。しかし、このチカラは代々のものだ、一朝一夕で手にできるものではない、世間の与り知るところではない、何時までも粗末にし、無視するなら、仏の顔も三度まで、堪忍袋の緒が切れる、って。私は、祖父母より、直に家督を得ている。確かに妹に子はいる。しかし、私の意思がなければ、家督の委譲はない。わかっているのか。この象徴的意味を。私にとって、資本主義などどうでもよい。と、羅刹は言った。こいつは、何者だ。誰も知り得ない秘密であるのか。秘密であっても、チカラはチカラである。思い知りたいのか、と。羅刹は不可思議である。反省するべき者たちは反省するべし、身のためである、と彼は言っていた。
|