2006年06月03日

羅刹の悲しみ

何とでも言うが良い。あなた方は天下を取ったつもりなのだろうか。そうはいかない。時は代わった。代わったと云うことは今までの価値が通用しなくなる。どうもわかっていない方々が多い。わからせなければならないのだろうか。いい加減にしてほしい。既に各人それぞれ己の為した人生である。それがこれより裁かれる。本当である。すなわちトランプゲームにおける51である。ストップがかかった。あるいはナポレオンである。こちらには切り札しかない。この意味わかっているのであろうか。わからぬとも勝敗は決した。 それぞれ脛に傷もあろう。そういう時代であったのである。純粋に己を信じ生きてきた者たちが今復活する。悪は去るべし。ゆるしはしない。女は男を愚弄するべきではない。戦後自由民主主義は西洋かぶれである。或いは解釈を誤った。或いは流行病である。女は浅薄エゴ自分勝手である。そして嘘をつく。女のエゴが男を惑わす。愚かな男がそれに迎合した。そして天下を支配した。因って世を乱した。結果腐敗した。断言し置く。全て自由であるかのように思われる。しかし掟は掟である。天のサンクションが厳然としてある。誰も逃れることはできない。唯、身心清浄を以て逃れることができる。知っても知らなくとも事実真実である。何時までも妄念のままさまようが良い。それに見合った来世が待っている。しかし男も女も既に新しい芽が出ている。しばらくまともな者が生きることができない社会となってしまった。もはやどうでもよい。この人生尋常ではない。犠牲にされしものたちの復活である。やはりゆるしはしない。これ以上腐敗に負けるわけにはゆかぬ。腐敗は表舞台より去るべし。その根は抜かれるべし。あなた方の時代は終わった。黄泉よりの相応の沙汰待つべし。故なく己の分際をもえ知らず何を勝手なことを言っているのか。わからぬならわかせられる。天地の定めである。恐竜は何故滅んだのか。世間身勝手ももはやこれまでである。目覚めてしまった黄泉は新たな決定を為すであろう。ゆるそうと思った黄泉もどうにもならない世の現実を見た。ゆるそうと思った自分を恥じた。それほどまでに腐敗はその根が深い。どこまでのさばるか知れぬ。腐敗のどうにもならない性向に気づいたのである。因って沙汰あるべし。おぉ羅刹よ。おまえの悲しみはどれほど深いのであろう。

しかし切れないでくれ。後生だからね。所詮この世は仏の掌の上でのことである。人間の計らいの及ぶところではない。そして仏とは裏を返せば羅刹である。その恐ろしさを知らぬ。知らぬまま身勝手する。そしてその運命や如何。黄泉の心は決した。所詮黄泉も運命通りである。何時かは決せざるを得なかった。その決定とは何か。既に遙か昔に葬られていた。今更である。これ以上腐敗を野放しにはしない。命などとうの昔に棄てている。仏とは何か。宇宙生命自然と連動する魂である。その魂が決するとどうなるか。黄泉が動く。今までとこれからは何故違うのか。これまでは目覚めるべき魂が目覚めていなかった。今目覚めている。それはどういう意味か。知る人ぞ知る。一つの決定が下された。腐敗は根絶やしにする。 基準は何か。ある一個の存在の人生である。救いは何か。輝く存在が存在することである。世に身心清浄はある。それは少なくとも三十年悪を為さぬことにより成就する。成就すれば自由である。黄泉が守護する。黄泉が動く。黄泉も待っていた。黄泉の育みし存在である。善も悪もない。存在があるのみである。この意味わかるか。自覚した存在が決するとき全てが決せられる。事実が証明する。歴史はその象徴としての記録である。秘史は別にある。手出し無用。存在一個で十分である。時代に終わりと始めがある。一つの時代が終わるとき一つの時代が切り開かれる。存在が存続するためにである。そのスケールの大小はある。恐竜からほ乳類へは最大級であった。植物から動物へもそうであった。今それに匹敵することが起きる。今知らしめん。疑わぬ者は幸いである。即ち地中海から世界へそして地球へ。日本史から世界史へそして地球史へ。戯言ではない。21世紀の約束である。刃向かわば刃向かうが良い。相手にならぬ。我が道を行く。自由は自由が切り開く。付き従わぬは淘汰あるのみと知るべし。生命魂の旅である。世迷いごとも試練であった。しかし人生は血ぬれのものではなくてと書きつづっていたのが吉田健一氏だった。そして日本人はかつてやさしさにむかって咲く花だったと書いていたのは辻邦生氏だった。さらに吉田健一氏は自分の住む空間は自分で作るしかないと書いてあった。昔からそうなのだろう。いつもそうなのだろう。やがて至るべき世界があるのであろう。だからその意味で勇気も必要だ。何も恐れることはない。すでに精神の自由は保障されている。同じ事を表現してもそれが文脈において芸術として必要であるなら合法でありもっぱら一つの傾向を示すだけであるなら違法となる世界である。因って自分の精神を信じるしかないではないか。古来の繊細がひとつの文化であることを証明するしかない。野蛮は常にありそれは相手にしなくて良い。嫌ならラジオも聞かぬが良い。テレビも見なくて良い。ただ憂えるしかない。だからこそキリストも磔に甘んじたではないか。ソクラテスも毒杯を仰いだ。そうした過去を持つ人類である。今も同じである。釈迦においては自分の國を滅ぼされた。孔子は夢を叶えることはできなかった。そして思う。人間というのはどうしようもないのだと。このどうしようもない人間を救うことはできないと。しかし仏は言う。一切大衆を救うと。それに決めたのだと。信じることは容易い。しかし現実に耐えることの何と困難であることか。チカラを示せば隠れて姿を見せない。ただ存在していると何処までも搾取する。裏切る。それが人間である。如何せん。滅ぼすか。さもあらず。ここまで辿り着いたのだ。誰もが救われるときが来る。必ず来る。耐えるしかない。大和の主砲は撃ってはならぬ。存在は存在する。黄泉は存在する。犠牲となった魂たちはその存在を認められることで成仏する。何時までも愚かであればそれなりの天罰である。無知とは何か。この精神の世界を知らないことである。洞窟の中に目のない魚が棲んでいる。人間も精神の世界においては同じである。眼あるものとは仏の異称である。目覚めよ。時が来た。目覚めた存在はすでにゐる。輝く方々である。しかしこよなくやさしい。犠牲となる。今までは。これからは違う。守護する魂が目覚めた。味方には万軍の主もつけた。宇宙自然が証明している。それでも自分勝手するか。己の罪を認めぬか。わからせられたいのか。時が無駄に流れたわけではない。時は来たのである。祖師西来意である。キリストも壮年時代は空白である。何処で何をしていたのか記録はない。おそらくふつうの日常であったであろう。ある日目覚めた。キリストとなった。そうしたものである。そろそろ観念していただきたい。自分を救うのは自分である。心に恥じないか。恥じるならどうするのがよいのか。各々自分の魂に問うが良い。自ずから答えは出る。それでもまだ我が儘勝手するか。畏れを知らぬと申すか。いつまでも真実は語られはしない。やがて終息する。そして未来が約束される。すなわち救う魂と救われる魂とに分かれる。祝福はどちらにあるか。当然前者である。人類として歴史が流れた。多くの学習があった。同じ轍は踏まない。それが知性である。やがて事実が証明する。こころある方々は立ち上がるべし。時である。もはやどうにもならぬ。どうにもならぬものが目覚めている。仏法は克つ。王法は設ける。宇宙自然の約束である。黄泉における掟である。あなた方の思い上がり勘違いが正される。今、時である。時は天、天命である。ここで腐敗を処理する。未来へ向けて浄化する。一切腐敗を未来へ通すわけにはゆかぬ。未来のためにである。子孫のためにである。すでにその芽は出ている。幸いは咲いている。信じるのか信じないのか。思うことはやがて染み出す。黄泉が助力する。もはやどうしようもない。目覚めるべきが目覚めた。淘汰する。あなた方はあまりにも本来の価値を無視しすぎた。もはや遅い。宿命である。世を正す。時を軌道修正する頃である。黄泉の意思である。全軍出動。意は決せられた。御名御璽。